TUNAMI 311

あれから9年  一時は大好きな海の方を向く気にもなれなかった

天国からのお呼びの声に返事をする気もないくせに、あまりにも多くの人々が

うっかり答えてしまった

あの日、我が家では嫁さんに「茶箪笥を押さえて」と叫ばれ必死だった

横浜にしてはかなりの揺れ 震度4以上の体験は初めて

押さえきった時に、拍手は求めなかったが よくやったとため息一つ

ここはそれで済んだが、事態は画面の中から 形になった地獄が飛び込んできた

まだ手相もできていない 小さな子を失った母親の叫び声

神様はなぜ順序を並べ替えたのか いまだ帰りを待つ親もいる

地獄からの呼び声に、子供は耳を貸さないはずなのに….

いつの世も、大人は耐えなくてはならないが 子供が犠牲になるのは耐えられない

今、嫁さんは保育士になり 帰宅するたびにその日の子供たちの両手で持てないほど笑顔いっぱいの出来事を楽しそうにお裾分けしてくれる

時代は、そんな子達に戦うことしか教えてあげられないのだろうか

東北の人々はいまだ苦しんでいる

どんな優れた作家でも あの苦しみは表現できないだろう

次の世代に、何をして 何をどう伝えるか 

大人の懺悔だけでは未来には近づけない

放射能が消えるのが早いか 人間の記憶が薄れるのが早いか  忘れてはいけない

きっと被災地の誰もがあの日の前日に戻りたいと 頭がいっぱいだろう

すぐにでも帰りたいと思うのは当たり前のこと

天国も地獄も今いる場所にある  どちらと思うかは……

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