軸足を夢に置き、もう一つの足の置き場を探しさまよう99%の人間たち
わずか1%の成功者を夢見て
いずれ自分の重力が衰えた時 人生を振り返るだろう
安らぎの無い手相に沿った生き方だったのか
他人がのけぞって見上げるようなてっぺんに立っていたのか
夢を追うということは 生きているということの次に来る課題、希望であり
生きる事への後押しをしてくれる最大の相棒である
だが、リスクもしょわなくてはならない
それと引き換えになる代償にするものは 家族、恋人、友人、人間関係だけではなく数知れず
そして、孤独という相棒だけが残る
こんな話を聞いた
昔アメリカンドリームを追いかけ ホテル王になった大富豪が飢えて生きていた時代
一日が終わりかけた日没の果て
朝が来ない窓を見つめ 孤独に軸足を救われるたびに
長距離電話交換手相手に 長い夜を耐え忍んだと
そこで交わされた多くの言葉は 「自殺に成功も失敗もない 生きて確かめて…」
十字架に吊るされるまで 成功も失敗も決着つかぬ世界
吊るされた後 成功をする芸術家も少なくはない
私たちは 手も使わず吹く風で髪を結べる 2世でもなく
地も揺らさず靴ひもをほどく 御曹司でもない
全てはZEROからのスタート
夢までの距離や高さは計り知れない
夢追いゲームのサイコロの目にも限度がある
時には手からすり抜け それを拾っては何度も何度も振り進むしかない
でもね
これだけ夢の行き先を語っても 一瞬にして夢からたたき起こされる出来事があるんだよ
それはね
体がぶち壊れる事
同時に心がはがれ 自分がどこにいるかどこに進むかさえ理解できなくなる本物の孤独と出くわすこと
そんな時 自分で自分の捜索願いを出すしかない
たとえ引き取り手がなかろうとも
俺はまだ 夢から覚めてはいない 少し休憩していただけ
自分には いささかぬるい優しさを配ってみた
せっかくつかんだチャンスだから こいつには未練もある
さよならというのが 苦手なことだけかな